おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

毒親。

先日Twitterで流れてきた記事。

 

 

瀧波和賀さんのnote記事

「母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった」

読みながら胸がつまって、痛かった。

筆者は今お子さんがいて、優しい旦那さんがいて

子供時代の自分のような体験をさせてしまいわないかと

いう思いも持ちつつ、

娘さんを大切に育てていらして、最後まで読んで

本当に救われました。

 

 

毒親って、実は本当に多いんだと思います。

というか、

自分が親だったとして、どこで毒親になってしまうか分からない。

ただ自分の親やきょうだいを始め、

たくさんのたぶん毒親を見てきました。

 

治療師時代に伺ったお家で、

自分の娘をまるで汚いものを見るように目を背ける母親。

 

自殺してしまった娘に対して、なんで止められなかったのかと泣きながら

娘を理解する気持ちは全くなく、

娘が集めていたものを「こんなもの気持ちが悪い、がっかりした」

と言う母親。

 

コンビニできちがいのように娘に喚く母親と、

暴言に泣きそうになりながらぎゅっと俯く小学生の女の子。

 

 

親だけでなく、夫である場合もあります。

ガンになった妻に、すでに肺や脳に転移が進んでいるのに

相手の体調や気持ちを思いやることなく、

無理やり正座をさせ、見つけてきた高額の気功師の施術を受けさせる夫。

 

 

毒親というより、

毒人間というべきでしょうか?

 

セクハラ・ストーカー・いじめ

自覚ないまま、相手に結果的に何かを押し付け、

あるいは悪意を持って嫌がらせをする。

 

私自身は、被害者でもありますが

加害者でもあります。

家では親に叩かれ、

学校ではいじめられたりして居場所がなく、

自分がいじめの順番から外れるように、

他の子をいじめるのに加担したことがあったからです。

他にも思い出したくないような事も

たくさんあります。

 

そんな自分に吐き気を覚えて、

強くなるために武道を習ったりして

その変化は自分で望んで得たものだったのですが、

身についた歪みは幸福を感じたり、

それを得る多くのチャンスを無駄にしてしまい、

恨みや憎しみの感情で、何年もの時間を無駄にしたと

今では思っています。

でもそれも自分の人生だったなあと。

 

 

あの自覚のない押し付けや、

機嫌次第のコントロール不能のヒステリーや暴力、

投げやりさや良い方の変化を拒むネガティブな気質というのは

いったい何なのでしょうか?

 

 スコット・ペックの書いた

【平気で嘘をつく人たち 虚偽と邪悪の心理学】には、

どれだけ普通の人々が、邪悪さを持ち

それを自分以外の人に使用するかが書かれており、

正気でいるとは何なのかということを、

理解するための手がかりとなりました。

 

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

 

邪悪さと歪み、

人間がいれば、誰にでもどこにでも存在する

この逃れることのできない事象。

邪悪さとはなんだろう?

 

自分以外の人のことを考えられない、

相手の痛みを全く感じられない。

想像することすらできない。

 

 

 

あまり書きたいことではないのですが、

うちは両親ともに毒親で、

父は気が弱すぎてアルコールに依存し、

飲めば暴れたり叫んだりして、小学生の娘の財布から

小銭をくすねては酒を買ってしまうような人、

母親は舅姑にいびられて、生来の気性の激しさもあり、

ストレスとヒステリーの全てを、

二人の娘に向けてしまった人でした。

 

悪いことをしていないのに、

言うことを聞かないという理由で、

藤の布団叩きで打たれたり、

火のついたお線香を手の甲に押し付けられて、

5ミリくらいの穴の空いたその手を風呂屋でゴシゴシ洗われたりとか

今では微かなんですが、恐怖の記憶として残っています。

子供の頃はただ泣いて謝って、部屋の隅に逃げ込むしかなく、

それでも追い詰められて容赦なく折檻を受けてしまう。

 

 

ある時は座っていたら、後ろを通っただけの母親に、

いきなり頭を叩かれたこともあります。なにもしていないのに。

いつもビクビクし、

親の顔色を伺う毎日。

 

 

母親がしたことは、「取り引き」でした。

『いうことを聞かなければ折檻するよ、

    私の機嫌を取れば、可愛がってあげる。』

 

親だから娘には遠慮なんかしなくていい。

(これは今でも思っているようです。口に出します)

 

小学校の夏休みの宿題で、

飼っていた猫たちの絵を描いていた私は、

下手だからと母親の描いた絵を提出させられ、

翌年また好きな猫の絵を描いていたら、

「バカッ!去年の絵が、お母さんが描いたってバレちゃうでしょう!?」

と叱られました。

 

 

最後に母親に受けた暴力は高校生になった時、

出かける母親と玄関で言い争いになり、

平手が飛んできたので受け払ったら、

「お前は覚えた空手で、親を殴ろうと言うのかッ!!!」

と逆上し、履こうとしていたパンプスのかかとで

私の大腿を思いっきり殴ってきました。

 

「勝った」

 

私はやり返しませんでした。

それまで世界で最も恐ろしかった母親に

体力的にも、精神的にも勝った瞬間でした。

 

 

「このまま家族と暮らしていたら、

 いずれ自分は自殺してしまう」

 

 

自由に思い切り絵を描くスペースを渇望もしていたのもあり、

アトリエと称して真っ暗な安いアパートを借り、

荷物を運び、

あとは西へ西へと逃げ出しました。

 

その後何年間も、

「お母さん、お前を早く手放し過ぎたと思ってる」

と言うのを聞くたび、ゾッとして

「何を血迷ってる、私が、自分の意思で、

 あなたたちから逃げたんだ。

 そして私はあなたの所有物じゃない。」

と内心この人頭がおかしいと思っていました。

 

 

 

今から2年と少し前に、

一人で暮らす高齢となった母親と同居を始めました。

 

嫌で嫌でたまらなかった家族、

離れて暮らしていても、家族のことを思うと

いつも暗い気持ちになって、

全てが投げやりになりました。

歪みは様々なところに、

気がつけば形を変えて伝染したり、

思わぬ感情となって噴き出したりしてきます。

そして傷ついていないふりをする。

 

 

20代の初めに、

精神的に自分はおかしくなっている、と

自覚するような出来事があり、

元をたどれば子供時代に大人であろうとした歪みから

非常に不安定になってしまっていることに気づき、

お風呂に入っているときに涙が止まらなくなることが良くありました。

 

そんな湯船に浸かっている時ふと、

母親に聞いた母親の子供の頃の話を思い出しました。

4人の兄妹の中で、

家を出て行こうとした母親(祖母)に、

自分だけ置いて行かれそうになったことや、

たくさんの愚痴や恨み言の数々。

 

「ああ、母親もそうして育てられて、

 他にやり方がわからなかったんだ・・・」

 

 

うちの両親は愛情がなかったわけではなく、

同居の祖父母や父の兄弟とのゴタゴタや

キャパオーバーの生活もあり、

自分の感情がコントロールできず、

子供は自分の所有物だと考え、

そうしたことが子供やのちの自分にどういう結果を

招くかなんて、

向き合う時間も、知識もなく、

生活するのにたぶん必死で、

自分に疑問を持ったり、振り返ることすらなかった。

 

父に関しては、

本当の気持ちを聞く機会は、死ぬ寸前の一言しかなかったので、

数々の家族を窮地に追いやる所業の裏に、本当はなにを考えていたのか、

すでに知る由もありません。

(たぶん本当になにも考えていなかったに千点)

ただひとを陥れたりする人ではなかった。

 

 

善悪のラインというのは本当にあやふやで、

物事の裏にはたくさんの事象や感情や出来事が

必ず関わっていて、

一面的な見方は、たぶん何の役にも立たなくて。

 

 

正しいことをしていると思い込み、

人に押し付ける邪悪さや、

自分がしてしまった言動について、

ずっとどこかで引っかかっていることなどが、

唯一歪みを知る【違和感】という名の警報ベルなんだと思います。

 

 

前記事でご紹介した香月日輪さんの

【妖怪アパートの幽雅な日常】シリーズは、

全編に渡って日々私たちが出会う、

「何か納得行かない・・・・、どうなのこれ?」

というリアルな人と人との関係が出てきて、

読みながら驚いています。

 

そしてそういう人と出会っても、

どうにも出来ずにモヤモヤしたり、

その時どうすればよかったのか、悩んだりあがいたり、

何もしないという判断をしたり、

まるで経験してきたことを見るようです。

 

 

www.nekosippona.com

 

 

 

私が「絶対に出来ない、イヤだ」と思い続けてきた母親との

同居に踏み切ったのは、

ブッツリと自分でぶった切ってしまった親子関係を、

たぶん残り少ないだろう時間の中で、

切れた時点からまたスタートさせてみようと

覚悟を決めたからでした。

またそうなるようにいろいろな面で追い込まれてもいました。

23年前の、父親がもうすぐ死ぬとわかった時のように。

 

 

覚悟はしていましたが、

本当に精神的にも大変で、友人からは

「すぐ戻ってくると思ってたよ・・・」

とよく続いてるなと言われています。(笑)

 

お互い売り言葉に買い言葉の暴言親子なんですが、

(それがイヤで本当に同居を悩んだんですが)

これたぶん母親以外の人には絶対吐けないことで、

私は初めて母親に甘えてるんだな・・・・と気がつきました。

 

子供の時から

「自分の両親より自分の方が大人だ・・・」と

(勝手に)思い込んできた私は、本当は親に甘えたかったんですね。

 

 

自分の深いところの欲求は、

本当にじっくり見たり、苦しんだり、ジタバタしないと

分からないものですね。

 

そして親との関係は、

否応もなく、自分の本質や

見たくもなかった自分自身の姿を

自覚させてくれるものだなあと思います。

(修行か!)

 

自分の持ってしまった歪みに直面し、

自覚した時に

自分がどんな人間として生きたいかが

大きく関わって来ます。

どうにもならない、と投げやりに残りの人生諦めるか、

例えどうにもならなくっても、こんなのはイヤだ!!!!

とのたうちまわるか。

 

 

同居を始めてしばらくして、

母が飼っていた3匹の猫のうちの23歳の老猫が死んで、

丸々太ったメスの三毛猫と、キジのオス猫の2匹が残ったんですが、

この2匹は仲が悪く、メス猫がオス猫を絶対に寄せ付けないで、

激しく威嚇し、噛みつき、突然猫パンチを食らわしたりしていました。

 

じっと観察していると、

たぶん母親のオス猫に対する溺愛と依怙贔屓が原因の嫉妬ではないか?

と思ったので、

私が徹底的にメス猫を可愛がったら、見事に懐いて

(噛み癖は相変わらずですが)

オスに対しても、だいぶ態度が軟化してきました。

寂しかったんですね・・・・。

 

そりゃそうです、

自分より後から来たオス猫ばっかり可愛がっていれば、

どんどんストレスが溜まって、

言うことなんか聞かなくなります。

自分だって親からされてイヤだったことを、

なぜ猫にするのか?と言ったら

「なんで猫の機嫌なんか取らなきゃなんないの?」

 

 ・・・いいかね、猫はオモチャじゃない

エサをあげるだけなら、飼ってると言えないんじゃないの?

 

 

私のきょうだいも、子供の頃さんざん

母親からグズと言われて恨んでいたのに、

全く同じことを自分の息子に言い続け、

あげく息子からほぼ絶縁されている。

「自分がされてイヤだったことを、なぜ他にやるのか?」

 

そしてこのきょうだいが起こしたことのどれを見ても、

相手のことを考えているようなことを言いながら、

実は自分のことしか考えておらず、

自分がいいと思うことを、子供だろうが親だろうが兄妹だろうが夫だろうが、

相手構わず強要する。

 

話を聞けば聞くほど、

いつも悪いのは誰か他人で

自分が被害者のままでいるという邪悪さがある。

本当は加害者なのに。

 

 

自分がこの邪悪さの加害側にならないとは、

絶対に言えない。

けれども、この先

ちょっとした【違和感】のたびに、

立ち止まっていきたいと思っています。

その【違和感】に向き合うための軸を無くすまいと

強く思います。

 

 

「親を捨てる。

 自分の邪魔をするものはもう金輪際許さない。」

そう思って生きて来て数十年。

 

親子関係の最後に、喧嘩しながら罵り合いながら、

親に甘えて

しばらくの時間を親子として一緒に暮らしてみよう。

いつまで続くかわからないけど

と思っています。(笑)