あそこって、
どうやって行くのかなあ?
千葉県に来てから、面白そうな場所をGoogleマップで探し続けて、
めぼしい場所を60%ぐらいは制覇したかなあ〜〜なんて、
タカを括っていた今日この頃。
東京に近い松戸のあたりもだいたい面白そうな匂いのする場所は、
足を向けてみたと思っていたんですが。
完全に見逃していた見事な富士山に偶然出会っちゃいました。
その名も小山浅間神社(こやませんげんじんじゃ)。
実は松戸って、富士山信仰がかなり盛んだったようで、富士塚というにはかなりな大きさの、
ちょっとした小山がそのままミニ富士山として、
たぶん昔のまま残されていたりするんです。
それも規模としてはかなり立派で、都内では見た事ないくらい。
一つは金山神社で、富士講の信者さんが祀っていらっしゃるようで、
富士山から運んだのか、たくさんの溶岩と古い鳥居、
三峰神社まで揃ったうえ、巨樹や森をそのまま残してあって、
最初に来た時はちょっと驚きました。
でも金山神社で最もインパクトあったのは、
表参道が線路の上の歩道橋だった事です。
葛飾八幡宮と同じに、
線路が参道をぶった切った形になっているんですね。
金山神社の写真撮ってなかったので、そのうち追加で載せますね。
この小山浅間神社は、山頂の本殿の周りに剣ヶ峰、銀名水まであって、
富士山に足しげく通っていた身には、ちょっと感動です。
山頂の本殿のまわりはそのまま富士山のお鉢。
本当の富士山のお鉢まわりは約2時間かかります。
千葉県の神社の山岳信仰には、富士山の浅間神社と
秩父の三峯神社がほぼ必ず祀られています。
三峯神社は大口真神(おおくちまがみ・オオカミ)を祀る神社。
長い階段の途中に、猿の石像が一つあったんですが、
実は浅間神社のご祭神、コノハナサクヤヒメのご眷属は猿なんです。
北口本宮浅間神社の1合目馬返しから富士山に登ったことがあって、
観察眼のある人には見覚えがあると思います。
そして5合目にはふさがれていますが、小御岳尊道が作られていました。
現在スバルラインで、大勢の観光客がバスで訪れる
富士山5合目のレストハウスの横にある小御岳神社が、
日本中の富士講信者の目指す場所でした。
不老長寿の霊水が湧いていたという、富士山火口の銀名水。
見事な巨樹と、小さな石橋のかかった池もあり、
これを忍野八海を模したと見れば、
あとは洞窟(富士風穴や人穴)があれば、
この富士山は完璧だと思いました。笑
ここはずっと残って欲しいなぁ
ちなみにこの森は、【浅間神社の極相林】として、
天然記念物となっています。
昔のままに守られて来た森なんですね。
この火口の左側に銀名水、正面が最高地点剣ヶ峰(測候所のあったところ)、
右手の平らに見えるところに金明水の跡があります。
富士山は水を作り出す山だけど、
富士山自体には水が取れる場所は全くないので、
山頂に雪解け水なのか湧き水なのか、それがあったというのは驚きです。
富士山は簡単には登れない山。
辿り着くにも長い時間とお金がかかります。
じっさいに登った人たちが身近な場所で、あの山を再現しようと、
自分の歩いた道のりをこの小さな山に重ねていたことが、
ハッキリと想像できます。
登山でした体験は、強い印象を残すので
ほんの少しの切っ掛けで、何度でもその体験が蘇り、
このまわりの景色が見通せない小さな富士山は、
余計に何度でも本当の富士山に登るのと同じ体験を、経験できるのかも知れません。
松戸の駅の近くには、戸定邸(とじょうてい)があり、
最後の将軍、徳川慶喜(よしのぶ)の実弟、水戸藩最後の11代目の藩主、
徳川昭武(あきたけ)が生活した屋敷があり、
この高台からかつて富士山がよく見えたのではないかと思います。
この藤の花は、本当にキレイでした。
庭園は無料で開園時間内は誰でも入れます。
この大広間はとても日当たりがよく、広い前庭があり、
この部屋の後ろにある昭武さんの書斎と本棚が、なんだかとても好きです。
お風呂場や、お母さんの部屋のあった離れなど、
生活を想像しながらゆっくり過ごせる場所です。
建物と資料館は有料ですが、
パリ万博に次期将軍として、また将軍の名代として
わずか10代で渡っての生活や、流暢なフランス語のノートなど、
破格と激変の人生を垣間見れて、とても勉強になりました。
四季折々のお散歩にとても良いところで、
この周囲も実はなかなか良い場所があるので、
松戸駅近くまで行ったら是非どうぞ。
大好きな三峯神社の記事です。