日本にあった、巨石文化!?
実際この目で見るまで信じることができなかった、
水の上に浮く500トンの巨石。
兵庫県の生石(おうしこ)神社、
石の宝殿。
ようやく辿り着いた時にはすでに日がくれていて、
拝殿から参拝だけでもしようとくぐったその先に、
闇の中に佇む巨大な岩が。
全体が見渡せないけれど、すごい迫力でした。
こんな暗い中、偶然参拝にみえた近隣の方に、
いろいろお話を伺う事が出来ました!!
超ラッキーです!
横幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m、重さは推定500トン。
信じられないような人工巨石が水の上に浮いている・・・!!!
しかもこの石はいつ誰が何の目的で作ったものなのかわかっておらず、
717年ごろに作られた【播磨国風土記】には、
「聖徳太子の時代に弓削の大連
(物部守屋との説ありだが、太子の摂政時代にはすでに死亡)が作った。」
との記述があるそうで、ということは
風土記作成以前、1300年以上前に作られたということになります。
信じられない・・・・((;゚Д゚))))
左側から周囲をぐるりと巡ってみます。
何だこれ・・・!
ピラミッド型の突起がある!?
この構造物の全体像が、まったく理解できません。
今までどこにも見たことのない形・・・!!!
右側の側面、高さが5.7m、
左右の側面に、溝のようなものが彫られています。
社伝によると、この水は枯れる事がないそうです。
海の潮位と連動しているとも言われているようですが、
ここはかなりな高台になるはず・・・。
三日月の輝く闇の中、
教えて頂いた宝殿の後ろに登ってみます。
何か横切った気がして何回か撮ってみました。
ホコリ?
山頂からは高砂の街が一望でき、
あたたかくてとても良い気持ちでした。
一晩中、ここで座っていたいなあ
美しい夜景をぼんやり見ていて、
この山が巨大な一枚岩で、
石の宝殿はその山腹を掘り抜いて作ったのだとはっきり気づきました。
後から調べてわかったことは、
ピラミッド型の突起物(背面)が実は頭になる部分なのではないかという説があって、
池の中で一部が繋がったまま残されているので、
池の上に浮いているように見えるのだということ。
シーボルトが素晴らしいこの石の宝殿のスケッチを残してくれています。
日本にも巨石文化があったんだ!!!
と本気で感動した日となりました。
磐座やストーンサークルはたくさん見て来ましたが、
古墳以外にこれほど巨大な人工物を見たのは初めてです。
本当に、いったい何のために作ったのでしょうか・・・?
この神社の入り口で出会った方から教えて頂いたのですが、
この石の宝殿からほぼ真北にある高御位山に、
この宝殿を作るときに出た砕石を、足で踏むのは恐れ多いという事で、
古代の人たちがその山の上まで大量の岩屑を運んだというのを聞いて、
後から調べたら、高御位山はここから4.3km、普通に歩いて約1時間の距離です。
すごい話です。
この宝殿山の岩は竜山石と呼ばれ、古代から石棺や建築材として利用されていたようです。
生石神社の縁起は、第10代崇神天皇の時代に日本全土に疫病が蔓延り、人民死滅の危機となったときに二神が天皇の夢枕に現れたというものだったそうです。
その二神は、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)とされています。
国づくりをしようとしていたオオクニヌシの元にやって来た、
ミソサザイの羽をまとった小さな小さな神。
天の神カムムスヒの指の間から小さすぎて落ちてしまったスクナヒコナと
オオクニヌシは兄弟となって国づくりに励み、
人々に医術と温泉と薬などの知識を与えたとされています。
なので生石神社は医術の神社でもあります。
明るい昼間に見ると、浮石に焼けた部分が見られるそうですが、
織田信長の家臣、羽柴秀吉に焼き討ちにあったときの跡だそうです。
ちなみにここは日本三奇というものの一つになっていて、
後の二つは高千穂峰の山頂の天の逆鉾、
宮城県塩竈市の御釜神社の四口の神釜だそうです。
いずれご縁があったらまだ見ていない最後のひとつの御釜神社を尋ねたいと思っています。
いつかまた訪れて、
一晩中宝殿山の山頂で瞑想をして過ごしたいと思っています。
(気持ちよすぎてきっと寝てしまう・・・笑)