おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

自然のなかでの音と違和感。ネパールと知床で

桜が満開!

桜が満開!

 

今日公園の山にある静かな東屋で休憩していたら、

突然近くで歌謡曲の音がして、目の前に女性が現れました。

 

「ここいいですか?」

「もちろんどうぞどうぞ。」

 

その女性は、一度止めた音を坐ってからまた鳴らし始めたんですが、

この人なんでこんな事するんだろう?

イヤホンで聞けばいいのに・・・・

と、その瞬間に今まで山で出会った二つの光景を、

走馬灯のように思い出しました。

 

 

ひとつはネパールのカラパタール山頂で、

みんながエベレストを始めとする周りの8000m峰に感動して眺めていたとき、

突然ひとりの若い日本人男性が大音量で沖縄の音楽を流し始めたのです。

ひょっとしたらヒマラヤでその音楽を聞くのが

彼の夢のひとつだったのかも知れません。

彼もその景色に感動している様子でした。

  

カラパタール山頂

カラパタール山頂



(この人にどういう風に言ったらいいのかな?本人は気持ち良さそうだし・・・)

と考えていると 、

私のお連れしていたお客さんが怒って怒鳴りました。

 

「なぜこんなところでわざわざ日本の曲をかけてるんだ!!

(ここにいる他のみんなはこの景色を楽しみたいのに!)」

 

そうです、

初めてのネパールで高山病に悩まされる長い旅路の末、

ようやくたどり着いた5500mの山頂で、

ヒマラヤの雄大さに心を奪われていた他の人たちには、

ハッキリ言ってすべてをぶち壊す所業でした。

しかもその場にいるのは日本人ばかりではありません。

ロッジでお互い自国の歌を披露しあって和気藹々の状況とかだったら良かったんですが。

 

 

 

知床のヒグマ

知床のヒグマ

 

もう一つは毎夏訪れている知床の羅臼岳での光景です。

登山開始後、しばらくして後ろから大音量のクマ鈴の音と歌謡曲が迫ってきました。

(これはマイッタナ〜😅)と思って

「お先にどうぞ(頼むから先に行って)」

と声をかけたら、

 

「ヒグマが怖いから、このグループの後ろを歩きたい。」

 

これには私も大激怒

私のお客さんを盾にする気か。

こういう事平気で言う人たまにいます。

 

「それならそのクマ鈴と音楽、今すぐやめてください。」

「下でラジオつけていけと言われた。」

(そこまで怖いなら、なんで登るんや・・・・) 

 

第一に後ろにピタッと大音量で音楽流す人がずっとくっついてるなんて、もうすでに怒り心頭の人もいます。

 

 

「知床のヒグマは間違ってもクマ鈴なんか怖がらないし、

 こちらの場所を知らせて相手が避けてくれるというヒグマの善意を期待するしかない。場合によっては返って興味を引くこともある。

 大騒ぎして相手を興奮させるのがいちばんまずいし、

 逆に周りの気配や音が聞こえなくなるので迷惑です。」

「どっちが言うことが正しいんだ。」

 

 

知床では、地元や関わる人たちの努力と対応のおかげで、

今まで一度も登山者をヒグマが襲う事故が起きていない、奇跡のような場所なのです。

 

そして野生動物に対して、その種によってだいたいの対応はありますが、

絶対こうだという方法はない。

特にクマは私から見ると最も人間に近い動物で、

人と同じに個々の個性が大きく違います。

その時の空気と状況を読んで対応するしかないし、

知床は私から見たら対応や行動を間違えなければ、他の場所より安心出来る。

彼らは長く登山者の姿を見ていて、

しかも標的とは認識していないからです。

 

でもそれはほんの少しのこちらの対応の間違いで、

取り返しのつかない事態を招く、

ナイフエッジの先のような関係です。

 

もしも鮭の遡上が遅れて、彼らがガリガリに飢えていたら?

そしてその時に通りすがりの人間が食べ物を投げたり、

ゴミを捨ててその味を覚えてしまったら?

 

万が一、クマを興奮させてしまい、

ザックを投げ捨てて逃げられたとして、

人が食べられる物を持っていると学習したクマは、人に付きまとうようになり、

危険だということでいずれは殺されることになります。

 

話がちょっと飛びすぎましたが・・・😅

 

でも私からしたら、自然のなかでの歌謡曲やラジオの音、

クマ鈴でさえ違和感でしかないのです。

ランニングの時に音楽聴きながら走る人も驚異です。

街中でも後ろから来る自転車や車、

あるいは追いかけてくる人の音や気配が聞こえなくなるんじゃ?

と思うと体感的にこわい。

 

 

最後にひとつだけ、

自然のなかで聞いた、忘れられない最高の人工音がありました。

槍沢の下山の最中に、他の登山者(小屋の人?)が吹いていたオカリナの音です。

あれは槍沢の中じゅうに反響して、

本当に素晴らしかった。

ずっと聞いていたい気持ちになりました。

きっと動物たちも聴き惚れていたんじゃないかと思います。

その場所の自然の中で調和する音としない音、

自然の中での調和と違和感という、どちらも響いていく波紋。

 

 

ヒマラヤの山頂での沖縄の音楽は、

あの男性にはあの場と調和した音楽だったのでしょうか?

私には、聞いた瞬間に目の前の風景が、既知の日本という枠に、

キュッと縮こめられてしまったような気がしました。

周りの人もそうだったと思います。

知らない異国の初めて体験する大自然。

それをそのまま感じているだけでは、ダメだったのでしょうか?

あるいは、友人の遺言だったのかとか、

今でも時々考えてしまうことがあります。

嫌な人だとも思えなかったので。

 

 

本当に疑問なんですが、

車でわざと外に聞こえるように大ボリュームで音楽をかけてる人とか、

他の人がくつろいでる場所で自分の好きな音楽をでっかい音で流す人とか、

思考回路が自分と違うということ以外には、

うまく理解ができないでいます。

 

単独でいる山の中でそういった音が聞こえてきた場合、

私は

「間違いなく要注意人物があそこにいる」

(自分には理解できない思考回路を持った存在があそこにいる)

と動物や物の怪に対するより遥かに最大限の警戒をして行動をすると思います。

 

人間こわい。