おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

ジョムソン街道と河口慧海。

ニルギリ山



ネパール中部のガンダキ・プラディーシュ州ムスタン郡にあるジョムソンから温泉の湧くタトパニまでののんびりとしたトレッキング。

今では車が通れる道が開通しましたが、以前は歩くしかなかった道でした。

 

ポカラ空港

ポカラ空港

ポカラ空港は2021年7月に新空港が開港予定でしたが、現在コロナの影響で未定な模様。

国際空港できたら、カトマンドウに寄らずに直接行けますね。

 

ポカラは早くから欧米人が観光で訪れたりしている観光地で、

サランコットの丘からは、アンナプルナマチャプチャレなどの8千メートル峰が見渡せて、

ペワ湖の周りは賑やかなリゾート地となっています。

 

ちなみに。サランコットの丘にあるショールやブランケットの店の一軒が、

ものすごい質の良いものを売っているので、ぜひ見つけてください。

(名前忘れた・・・思い出したら追記します)

 

ネパールに行ったら、暖かいブランケットを毎回必ず買うのですが、

よくヤクウール100%とか書いてあるんですがウソです(笑)

ヤクの毛はゴワゴワしていてブランケットになりません。

そう書いた方が売れるので、まあ知らんぷりして自分の目と手で確かめて、

柔くて質の良いものを選んで買ってくださいね。

ブランケットは旅の間、寒い時に巻き付けたり、シェラフの中に入れたり、

ものすごく役に立ちます。

 

ペワ湖の中心にあり船で渡るタル・バラヒ寺院。

ペワ湖の中心にあり船で渡るタル・バラヒ寺院。

 

登山に興味のある方は、国際山岳博物館がオススメです。

ネパールの登山史と今までのヒマラヤ登山の歴史が一望できます。



ペワ湖

 

 

 

そしていよいよジョムソン空港に向かうのですが、

この旅のいちばんの危険箇所といえばここ。

険しい山に囲まれた標高2682mの石がゴロゴロした狭い場所に、

長さ531m・幅19mの滑走路が1本だけだったのですが、

現在はかなりきれいになっています。

それでも険しい地形の上、高地特有のものすごい不安定な気流に揉まれて

航空事故が多発している、世界で最も危険な空港のひとつです。

 

 

乱気流に揉まれ、迫るダウラギリやツクチェピーク。

乱気流に揉まれ、迫るダウラギリやツクチェピーク。

 

ひええええええ

激突するううううう

乗客からわあっと声にならない悲鳴が。

 

何回来てもスリルです😅



村に落ちるんじゃないかと。

村に落ちるんじゃないかと。

まるでジェットコースターのように揉まれて、

ぐるぐる旋回しながら気流を避けつつ降下して行きます。



操縦士

 

無事に着陸した時には、乗客から拍手喝采が。

「ありがとうパイロットさん、

 ありがとう〜〜!!!」

間違いなく英雄です。

パイロットも嬉しそうに手をあげて答えていました。

毎回本当に命懸けですよね・・・



ジョムソンの村


ここから以前は2泊3日かかった聖地ムクティナートに行くことが出来ます。

 

きれいに敷かれた敷石

 

 

母子猫


ネパールの山岳地帯でほとんど猫に会ったことがなかったんですが、

お昼を食べに寄ったところに母子がいてパチリ。

 

ダウラギリめがけて出発。

ダウラギリめがけて出発。



ニルギリ峰

ニルギリ峰


 美しいですねえ

 

ジョムソンには現在は閉館しているみたいですが、ムスタン自然史博物館もあります。

チベット医学や植物標本など、古くからのものが見られます。



そして緩やかに下ったすぐ近くのマルファ村は、

まるでギリシャの島を思わせるような白く美しい小さな村です。

ここではアップルブランデーなどが有名なのですが、

この地域の荒涼とした不毛の大地に稲作や農業を成功させたのが、故近藤亨氏。

森林再生・高地での米や野菜栽培・そしてリンゴの植樹に留まらず、

鶏や牛・ニジマスの養殖まで成功させたすごい方です。

 

 

 

そしてマルファには、河口慧海という日本人が初めて訪れて滞在していた場所が、

記念館となって残されています。

 

河口慧海記念館

河口慧海記念館

 

河口慧海という人は、

中国から渡ってきた翻訳仏典がいくつもある上に内容が違うことに疑問を持ち、

原書のブッダの教えを伝えた大乗仏教経典を手に入れ、

俗事に邪魔されずにヒマラヤ山中にて修行を為したいとの想いから、

今から134年前の明治20年に、シンガポール・インド・ネパール経由で、

鎖国をしていたチベットに密入国したという大冒険をした仏教者です。

ネパールに最初に足を踏み入れた日本人でもあります。

 

Wikipediaを読むだけでもかなり面白いというか

興味深いので、ぜひ一読をオススメします。

 

ja.wikipedia.org

 

正直言って、私もマルファに来るまで全く知らなかったので

当時国籍も隠し、言葉も全く違うインド・ネパール・チベットへ、

たった一人で経典と仏教を学びに来たなんて・・・と絶句しました。

 

河口慧海の残した【チベット旅行記】 は、

直裁にズバッと物事を言い切り、出会った人たちの習俗や性格なども

鋭く観察しオブラートに包むことなく描いていて、

人柄が大変にしのばれます。

ムクティナートからツクチェ、マルファとやって来てこの記念館となっている

場所に滞在していた模様も描かれています。

 

 

 

左手にガンジスの源流、 カリガンダキ(黒い川)を見ながら、

トウクチェ・ラルジュン・ナウリコット村のタサンロッジに宿泊しました。

オーナーは日本に留学経験もあり、この辺りでは他に見ることの出来ない素晴らしいロッジです。

(この時はたまたまロッジを設計された日本人の方とお会いしました!)

ここはダウラギリツクチェピークの麓にあり、眺めは絶景です。

ちなみにこの周辺のタカリ族は料理が上手と評判で、

作ってもらったランチボックスも葉で彩られていたりして最高でした。

カトマンズでもタカリキッチンがあります。

 

ナウリコットの村は非常に貧しく、

たったひとつの小学校があるのですが、

行くときは文房具やノート、ボールや日本の百円ショップで

おもちゃとかを大量に買い込んで持って行きました。

そっと渡して帰ろうと思っていたら、

わざわざ先生が子供も大人も大勢集めて来て歌を歌ってくれたりして、

子供たちの小さな手が真っ黒で、着ている服もボロボロで、

生まれた場所によって経験や人生は大きく違ってくるということを、

ひしひしと感じてしまいました。

 

昔は塩を運ぶルートとして交易があったそうなのですが、

中国に併合されたチベットへの出入りが禁止された後は、

厳しい状況が長く続いてきたそうです。

 

 

 

カリガンダキ川を対岸に渡ってしばらく行くと、

木の上に白いサルの群れが。

写真が撮れませんでしたが、ハヌマン・ラングールです。

 

ティティ湖

ティティ湖





ショコン湖のほとり

 

この辺りの高所ハイキング中に、

数億年前の貝の化石と思われるものがあったりしました。

カリガンダキ川では古くからアンモナイトの化石が出て、

神様とされてきたりしていて、

世界で最も高いヒマラヤ山脈が海の底だったなんて、

本当に地球は生きて変化しているんだなあと思います。

 

ショコン湖に映るニルギリ峰

ショコン湖に映るニルギリ峰

 

 

ハイキングの終点はタトパニ(熱い水)へ。


タトパニ

 

この辺りまで来ると、緑は多く

いくつか温泉があってホッとします。

ちなみに水着着用で、大勢のトレッカーや人が入りに来るので

すぐドロドロになります。

プールのような浴槽ふたつを交互に清掃しているので、

お湯の入れ替えの時間を狙って行くと良いですよ。



タトパニから見るニルギリ



電線の向こうに見えるニルギリ。

電線の向こうに見えるニルギリ。

 

日本にはない景色に、

朝も夕も見惚れてしまいます。

 

 近藤亨さんの著書。

 

 河口慧海と一緒に暮らしていたという姪の宮田恵美さんの前書きが、

とても興味をそそられます。

kindleで無料試し読みも出来ます。

 

 

 

河口慧海がどのように登山の力を身に付けたのかの一文が出て来ます。

 

www.nekosippona.com