おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

まつろわぬ国、岩木山神社と岩木山。東北の旅4

 

さて、次に足を延ばしたのは岩木山神社(いわきやまじんじゃ)。(←順不同)

いつものように何の前知識もなく、ただ気になったという理由です。

 

岩木山神社楼門

岩木山神社楼門

 

立派な巨樹に守られた長くてまっすぐな参道を歩いて来て、

真っ赤な楼門にびっくり。

ちょっと見たことのない姿です。

 

入口鳥居を返って見たところ。

入口鳥居を振り返って見たところ。

 

 

赤い神橋を渡ります。

赤い神橋を渡ります。

 

 

狛犬さん

狛犬さん


すごく貫禄がある、堂々とした狛犬です。

 

そして階段を上がると、

 

狛犬 阿

狛犬 吽

こんなところにも狛犬が!!

 

このような狛犬を見たことがありません!

ここまで来ないと見えないように、まるで隠れているように作られているのです。

ちょっとビックリします。

 

「玉垣狛犬」と呼ばれているそうですが、

なぜこのように作られたのはわかりませんでした。

「虎」と記載されたものもあるようで、確かにそうも見える・・・。

 

 

で、ついこの先に行ってしまいそうになるんですが、

本当はこの右側に手水舎があるので、階段を戻ってそちらに行きます。

最初わからなくて通り過ぎちゃったんですよね。(汗)

 

 

岩木山神社手水舎

 

すごい!

岩木山から300年近くかけて流れ下ってくる伏流水です。

一瞬も止まることなく豊かに吹き出しています。

 

 

岩木山の伏流水

 

とても美味しい水で、かかっている柄杓も小さく見えますが

実は大きいのです・・・。

 

お清めをしたら拝殿で参拝しますが、

拝殿から先は入る事が出来ません。

 

ここの中門の左手奥から、岩木山の本当の山頂までの参道(登山口)が始まります。

この時は登山の予定はなく、

このお山の気配というか、雰囲気を感じるために下見という感じです。

 

 

なんとなくいつものように気になるところを歩き回っていると・・・、

 

木立の中

 

 

池の中に立派な祠が。

池の中に立派な祠が。

 

白雲大龍神と書いてあります。

 

池の中にはたくさんの卵が。

池の中にはたくさんの卵が。

 

拝殿から奥には入ることができなくて、

実は中門から先の奥門と本殿は、美しい黒漆で出来ているらしいんですが、

残念ながら見ることが出来ません。

 

だがしかし・・・

 

軒下から美しい生き物が。

軒下から美しい生き物が。

 

クジャクかと思いましたが、鳳凰でしょうか?

見つけた時はとても幸運な気分になりました。笑

皆さんも行ったら見えるところを探してみてください。

 

 

 

この龍神社の隣には稲荷社もあり、

日常生活に不可欠な水と稲穂に関係する活動的な神を、

末社として別に祀ったのですね。

 

岩木山神社に祀られている5神は、ちょっと不思議な感じがします。

  • うつしくにたまの神
  • たつひ姫の神
  • 宇賀のめの神
  • 大山祇の神
  • 坂上の刈り田麿のみこと

 

もともと津軽富士と呼ばれるほどに津軽平野から一望でき、

豊かな水と恵みを与えてくれる美しい岩木山を神として

宝亀11年(780年・約1242年前)に山頂に祠を祀り、

その20年後の延暦19年(800年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が山頂の社殿を再建、

麓に建立したのがこの岩木山神社です。

 

 

最初の4柱は出雲族の日本神話の神として、

この地に移されてきたのだとわかりますが、

最後の 坂上の刈り田麿 は調べてみてビックリしたことに、

征夷大将軍坂上田村麻呂の、本人ではなく

なぜか父の名前ですね。

 

田麻呂は延暦5年1月7日(786年2月14日)に59歳で逝去し、

東北に行ったという記述も見当たらないので、

たぶん岩木山神社の創建時に、

「自分の名ではなく父の名を・・・」

と、田村麻呂自身が願ったのではないかと想像します。

 

 

田村麻呂は父の田麻呂が31歳の時の子供で、

(ちなみにこの家系は、後漢霊帝の曽孫阿智王を祖として、

弓馬や鷹などを代々得意とした渡来系の家系だったようです)

怪僧道鏡の奸計を退けたことで、陸奥鎮守将軍となっています。

(まさに最澄空海の生きた時代!)

お父さんをとても尊敬していたんでしょうね・・・。

 

 

坂上田村麻呂桓武天皇の行った何度目かの蝦夷征伐で、

延暦20年(801年)に4万人の軍勢を率いて平安京より出征し、

この年に征討を終了させます。

最初の頃は戦闘経験がなく、大伴弟麻呂の副官であったようです。

 

その翌年、蝦夷の大首領アテルイら500人とともに入京し、

田村麻呂は彼らを無事に帰すように主張したが聞き入れられず、

朝廷は彼らを処刑してしまいます。

当時の状況や田村麻呂の心情を知る事は出来ませんが、

ヤマトタケルが女装してクマソタケルを騙し討ちしたような、

権力者が行う常套手段を思い出させますね・・・。

 

 

そんな父をも越えた名声を残した田村麻呂は、

811年6月17日に54歳で亡くなっています。

埋葬地は京都の西野山古墳と言われていますが、

大正時代に素晴らしい副葬品が出たのを最後に、今は道路脇の竹藪と化しているようです。

 

人の歴史とはなんてはかない一瞬の夢ですね・・・・

 

 

(※出土した副葬品は、京都大学総合博物館に収められているそうです。見たい!)

 

 

余談ですが、

中門の扁額「北門鎮護」東郷平八郎の手によるもので、

軍艦陸奥には、岩木山神社の分霊を祀ってあったのだとか。

日露戦争に向かう人々が、ここに必勝祈願に訪れていたのだそうです。

 

 

 

 

で、この後しばらくしてですが、

当然行って来ました岩木山

 

素晴らしい眺め・・・・!

素晴らしい眺め・・・・!



 

岩木山神社の一の鳥居

岩木山神社の一の鳥居

 

この時初めて気がついたのですが、

岩木山神社の入り口の鳥居からまっすぐ伸びた参道の果てに、

岩木山の山頂があるのです。

 

 

山頂の鳥居

山頂の鳥居

 

先ほどの写真の一の鳥居の正面がここです。

このまっすぐ真下に岩木山神社と入り口のあの鳥居があるのです。

まさに一直線。

 

すごくないですか・・・!

 

もともと岩木山神社の場所には他の神社があり、

田村麻呂が他に移して現在は厳鬼山神社と呼ばれているそうです。

大昔からこの山を信仰するための場所だったのでしょうね。

 

 

岩木山神社奥の院

岩木山神社奥の院



奥の院のご神鏡





津軽平野が一望できます。

津軽平野が一望できます。


まさしく1220年前に、

坂上田村麻呂も眺めた景色です。

 

山頂からの眺め



山頂の様子。

山頂の様子。



山頂の鐘

山頂の鐘

 

 

ちょっとアレなんですけど、

ここの山頂のバイオトイレが面白いのでご紹介。



とてもキレイな様式便座です。

とてもキレイな様式便座です。



トイレの中の自転車



そして使用後は自転車を漕ぐのです〜〜〜、

最近たまに見るんですが、非常に良いアイデアですね!

 

 

 

岩木山神社からは、上り4〜5時間ほどでしょうか。

山頂には避難小屋、手前に鳳鳴ヒュッテがあります。

どちらも営業小屋ではありませんのでご注意を。

 

 

この時は連日他の山にも登るスケジュールだったので、

いちばん短くて楽なスカイライン8号目からなんとリフトに乗るという

片道歩行1時間もかからないコースで行かせていただきました!

 

リフト

リフト

 

リフトから鳳鳴ヒュッテまでの道

リフトから鳳鳴ヒュッテまでの道

 

鳳鳴ヒュッテ側から見た山頂

鳳鳴ヒュッテ側から見た山頂

 

このコースは短いですが、非常に変化に富んでいて楽しいです。

 

岩木山には4本の登山ルートがあって、何回か行っていますが

次は是非岩木山神社から登る百沢コースで登りたいと思っています。

 

 

岩木山岩木山神社の歴史は、

東北の人々がどのように朝廷という巨大勢力を迎え、

うまく言えないのですが、

歴史の中で生きたそれぞれの人々の記憶の集合のタイムカプセルのような場所。

 

この土地に住む人々にとっては、

まさに何にも代えがたい宝のような場所でした。

 

 

岩木山

黄昏に浮かぶ岩木山

 

 

そして旅はまだまだ続くのです・・・

 

 

www.nekosippona.com

 

www.nekosippona.com

 

www.nekosippona.com