おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

硫黄島。

パステル画

 

 

知人が硫黄島で仕事をしたという話を伝え聞いて、

 

「硫黄島?

 確か一般人は立ち入り禁止なんでは・・・?」

 

と少し調べていたら、とんでもなくすごい記事を読んでしまいました。

 

m.job-list.net

 

 

戦争映画は好きではなく、

ドキュメンタリーは見たりもするんですが、

どちらの目線で描かれるかでイメージの切り取り方が違うので、

評判になっていた「硫黄島からの手紙」も見たことがなく、

硫黄島は第2次大戦の末期に激戦地になった島・・・、

という知識しかありませんでした。

 

上の記事を読んだ後、改めて硫黄島での戦いのことを調べてみて、

ロサンゼルスオリンピックの乗馬で金メダルを取った

バロン西と呼ばれた西竹一陸軍大佐が亡くなったのが硫黄島だったのを初めて知りました。

(他に同じロサンゼルスオリンピックの水泳で銀メダルを取った河石達吾さんという方も。)

 

そして栗林中将という大変優秀な司令官がおり、

2万人もの人々がここで戦死したことも。

 

下士官への体罰や、食事の差別、そしてバンザイ特攻を許さず、

最後まで兵たちからの信頼の厚かった栗林中将。

空襲の時には掘った坑道に島の住人を避難させ、

将兵によるレイプを防ぐために婦人たちにはモンペをはかせ、

別の場所を用意し、最終的には島から避難させるなど、

戦時下において非常に細やかな心配りをした優れた司令官だったのに驚きます。

 

そしてその先見の明のある作戦によって、

有毒ガスの吹き出す地中に16kmにもわたる坑道を掘ってゲリラ戦を展開し、

たった5日で陥落できると考えていた米軍は、太平洋戦争中でもっとも過酷な

36日間の戦闘で、11万人の陸・海・空軍兵士のうちの2万6000人が死傷。

(うち死者は6800人)

日本軍は2万1千人のうち、生き残ったのは1000人だけだったと言われています。

敗戦を知らず、地下壕に4年間とどまったのち再び島を訪れて自殺した人もいました。

 

 

硫黄島からたった1人帰還し、105歳で2020年に亡くなった豊島厳一さん。

 

www.youtube.com

 

この映像を見ると、もう勝ち目などないことが分かっていたのに、

本土への上陸を1日でも遅らせるためだけに玉砕を覚悟し、

硫黄の熱にさらされ、満足な水もない中で半年かけて

危険な硫黄ガスの吹き出す坑道を16kmも掘抜き、

最後まで知能戦を行ったという事実に、信じられない思いです。

 

100歳を超え、慰霊のために再び島を訪れた豊島さんは、

生き残った自分が行っていいのだろうかと、

ずっとその思いを抱えて続けてきたのがわかります。

 

望んだのは、ただ平和に普通に暮らすことだけ。

 

 

 

【硫黄島からの手紙キャスト選考紹介】

硫黄島からの手紙 キャスト選考紹介 The Cast Of Letters From IWO JIMA - YouTube

 

「日本人は硫黄島や近代に至る歴史のことを教えられていない」

と語るクリント・イーストウッド監督。

私もその中の1人です。

 

 

日米双方で4万人もの死傷者を出した硫黄島での戦い。

なぜこのようなことが起こるのか。

傷つくのは誰なのか。

米国での渡航経験や交友関係があって、敵国とされた人々のことを知る人たちは、

たぶん他の人たちよりこの戦争というものの愚かさを

強く感じていたのではないでしょうか。

 

今もし硫黄島で亡くなった人たちがこの自分たちを題材にした映画が

作られたことを知ったら、どんなことを思うのでしょうか。

自分たちが望んだ平和が今あることを知ってホッとするでしょうか。

それとも戦う必要など本当はなかったのでは・・・、

と思うのでしょうか。

 

 

八丈島で島の人たちと戦時中に作られた山の斜面の壕に入ったとき、

そこは広くて作戦室のような場所だったらしいのですが、

トイレの跡に換気の穴などちゃんとあって、木片の残骸の残る真っ暗な中を

1人離れて歩き回っていたら、突然後ろをふいっとツバのついた兵帽をかぶった男性が

横切った気配がして、

「今でも・・・!?まだここに・・?」

幻影か、残像か、残留思念のようなものなのか、

一瞬でしたが、怖いとかは全くなくて、本当に普通のように歩いていた気がしました。

 

 

 

過去から学び、災いを未然に避け、

自分や他人が穏やかに暮らせるような安全な暮らしを長く続ける。

それがなぜこんなに難しいことなのでしょうか。

 

 

人間の歴史は争いと戦いの歴史です。

それと同時に優しさや勇気、助け合いと明るい未来を希求してきた歴史でもある。

間違う選択などは日常数限りなくあり、

修正する力も当然持っています。

 

出来ることも出来ないことも、

違うと思っていても他にないと思ってやってしまうこともあります。

何が正しいかなんて本当に分からない。

何が人を傷つけたのかさえ、時が経つまで分からないこともある。

 

ただひとつだけ確かなことは、

出会いがその人の方向性を変えていく、ということだけです。

それが人であったり、出来事であったり、動物であったり、物や本であったり、

誰かの作品であるかも知れません。

あるいは偶然見たTVのワンシーンであることも。

 

 

心の琴線に触れたこと、

自分の中で大小や良い悪いに関わらず、

さまざまな感動や心の震えを呼び起こし共鳴したことだけが、

その人を変えていく。

 

そして優しさや親切、真摯さや心温まる出会いこそが、

望ましい方向に世の中を変えていくことが出来る。

人に優しく接してもらったり、心から真摯に接することだけが、

たぶん世界を変えていく。

誰でもが毎日出来ることで、おそらく最も早く世の中を変えることが出来る。

 

 

何が自分にとって大切で、何が価値のない事なのか、

そうやって毎日一歩ずつ生きた結果がどこに向かうのか、

それは世界の片隅であってもその人だけがあの世に持っていく

本当の価値あることだと思えます。

 

 

 

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