久しぶりに南アルプスの最深部にある聖岳に行って来ました。
今までも記事書こうかなぁ〜と思いつつ、
そんなの誰が読みたいねん・・・て、
あまりに長くなりそうで見ないフリしてました。笑
登山の入り口となる椹島ロッジに着くまでが、本当に遠い。
静岡駅から車で山中のグネグネ道を3時間ちょっとかかって、
ようやく畑薙第一ダムの夏季臨時駐車場に着きます。
今回はあちこちでリニアの工事をしていて、
1台しか通れない山道で何回もトラックとのすれ違いなどありました。
ここから一般車両は入れないので、
東海フォレストの出しているバスに乗り換えてまた約1時間、
落石の転がるガタガタ道を揺られていきます。
1日がかりでようやく椹島ロッジに到着。
コロナで2年間完全休業していたので、
中の様子も人も、かなり以前とは違っていました。
ゴミはすべて持ち帰りです。
レストハウスの外には柵が建てられ、
その外には立派なリニア工事の宿舎が何棟も建てられていました。
素晴らしく巨大な山岳写真がたくさん見れます。
レストハウスにてチケット買うと開けてくれます。
この後ろから荒川三山や赤石岳に登るルートが始まるのですが、
北岳からこっちまでの広大な山域を持っている東海フォレストが管理、
二軒小屋と椹島ロッジと、送迎バスの運営も行なっています。
なんとこの赤石岳までのルートは、
東海パルプ(東海フォレストの親会社)の創業者、
大倉喜八郎氏が88歳の時に、200人以上の一行とともに
切り拓いた赤石岳の登山道で登頂した(ご本人は籠に乗って)と言う歴史があるのです。
驚きですね・・・・
今回通って来た静岡駅から椹島までの道を事前に作り、
1000人もの人が1ヶ月かかってあの険しい登山道を切り拓き、
何日もかけて風呂桶や床屋、畳に布団に酒、新聞記者まで連れて登ったのだとか。
さすが大倉財閥、やることが違う。
(大成建設・帝国ホテル・サッポロビール・日清オイリオなども創業)
赤石小屋に当時の写真が飾ってあるので、
興味のある方はぜひ。
一見の価値がありますよ。
いつもデザートが付いていて、美味しいごはんです。
なんかNHKの番組のカラスを思い出します・・・笑
さて今回は聖沢登山口から聖平小屋へ向かうのですが、
翌朝スタートして尾根に出てすぐ、
出会小屋跡手前の登山道が崩落しており、以前とルートが変わっていました。
往路は写真撮らなかったので、復路にて詳細書いておきますね。
湿ってスッテーーーーーンと滑る吊橋を渡り・・・、
もう一つの吊橋に来ると、
けっこう何年も通っているんですが、
修理されている気配はほぼ無しなのです・・・。笑
だんだん壊れ具合が進んでいるなあ
基本的にトラロープは強度もなく、人が掴むものではないのですが、
こういう所では補助として一人ずつササッと渡ってもらいます。
同じ支点の中で2人以上が掴まってバランスを崩したりしたら、
他の人も振られて落ちてしまったりします。
南アルプスは北アルプスと違って、
小屋や登山道、エスケープなども難易度が上がる感じですね。
特に今年は聖平小屋では食事が出ませんので、すべて持ち込みです。
以前来た時、
この急傾斜の渓谷を、クマが走って逃げていきました。
脅かしてゴメンね・・・。
乗り越えるのはかなり大変なので、助かります。
なかなか美しい姿です・・・。
さて、ここからまた遭難碑までも道が悪いので、
注意しながら歩きます。
登ったり下ったり。
ようやく小屋が近づいて来ました。
川にかかった橋を何回か渡り、
ここまで来たら、もう小屋は目の前です。
小屋の手前は広いテント場になっており、トイレは数十メートル先にあります。
夜中はヘッドランプ持参で早めに動くようにします。
ちなみに今回は、トイレで使用した紙も、備え付けのビニールに入れて持ち帰りです。
コロナで食事も出せないため、小屋も3人体制だそうです。
聖岳って、こんなに大変な道だとは思わなかった!
毎回の皆さんの感想です。笑
今回ここまで8時間かかりました。
さて、長くて読むのイヤになりませんか?
私は書くのがちょっとイヤになって来たので(笑)
続きはまた明日。
続きです。