10月の下旬に、長野県阿南町新野に行ったのですが、
そこでイチョウの巨樹と出会いました。
推定年齢600年、
高さ25m、枝の広がりは30m、
ちょうど黄葉が始まっていて、キラキラと陽の光に輝く美しい姿。
ここを治めていた、関氏の初代盛春が亡くなり、
この場所に2代目盛国が菩提を弔うために建てた瑞光庵に、
記念樹としてこのイチョウを植えたのだとか。
近づくにつれ、非常にある樹と雰囲気が似ているのに気が付きました。
それは何度も訪れて会いに行った屋久島の縄文杉。
不思議なことに縄文杉と姿が重なって見えたのですが、
理由は全くわかりません。(笑)
樹がそれぞれ過ごして来た生の格の醸し出す雰囲気みたいなものなのでしょうか。
私たちには子供の頃から馴染み深いイチョウの木ですが、
実は世界でも貴重な「生きている化石」として、
国際自然保護連合(IUCN)のレッドリスト、絶滅危惧種に載っている植物なのです。
そして驚くことにこの木は雄と雌に別れている裸子植物で、
精子になる前の段階の花粉が、雌を求めてかなりの遠距離まで飛散するのだそうです。
種子植物であるはずのイチョウの精子は、
鞭毛を持って遊泳し、動き回るという驚異的な生態を持っているのです。
この生態と進化的にみてシダ植物と種子植物の中間であるという事を発見したのは日本人で、
東京都の小石川植物園には、初めてこの精子が発見されたイチョウの樹が現存しています。
中国原産で日本には1200年代以降に薬種として持ち込まれ、
公園や学校、街路樹としてお馴染みですが、
イチョウの葉のエキスからは脳や抹消血管の血流改善や抗酸化作用、
神経保護、抗炎症作用なども認められ、製品化されています。
戦時中は銀杏の食べ過ぎによる中毒死などもあったそうです。
右の祠には、揚羽蝶の家紋がついていました。
ちなみにぜんぜん関係ないですが、私の家の家紋もアゲハチョウ(備前蝶)なのでした。
ここは田と畑の中の山の麓にあって、非常に道が細いです。軽自動車でギリギリ通れる感じです。
駐車場などもありませんので、行かれる方は気をつけて。
そして何と御神木のギンナンが下の東屋で売られていました!
1袋200円なんて、買わずにいられない。
調べたら、イチョウは割と簡単に発芽するのだそうです。
アボガドも順調に育っているので、彼らをきちんと育てるには引越しせねば・・・・。
もちろんギンナンは大好物なので、美味しく頂きたいと思います。
そしてここ新野には、
なんと行人様と慕われる即身仏がいらっしゃるのです。
新栄山という、新野の街を見下ろす高台の岩山で、
即身仏になられたのは曹洞宗・富士講(!)の信仰を持つ行順という行者様で、
禅宗では日本で唯一の即身仏と言われているそうです。
お名前は久保田彦左衛門、
1644年生まれで、入定されたのは1687年12月25日。
享年43歳。
ちなみに即身仏とミイラはまったく違うもので、
ミイラというのは蘇りを願って死後肉体に防腐処理を行うものですが、
即身仏は何年もかけて様々な行を行ない、
生存中から即身仏になるために、最後に木喰行など五穀を絶って漆を飲んだりし、
生きたまま土中に入って入定したのち3年後に掘り返してその身体が
残っていれば祀られるというものです。
その目的は人々の救済です。
現在日本国内で16体の即身仏が残っていますが、
長野県ではただ一人。
元々はこの新野に生まれた方で、
身長180cm(6尺)ほどもある力持ちの大男の武士で、
非常に真面目な性格で人々に慕われていたのだそうです。
大イチョウの瑞光庵の後に出来た瑞光院の南岸和尚の弟子となり、
鉄の下駄、鉄の錫杖を持って富士山・白山・御嶽山・高野山・恐山の日本各地の霊山に
17年間も籠り、その間は何と火を使ったものを取らないという凄まじい木喰行を
行なっていたのだそうです。
すべての山にひとかたならぬご縁がありますが、
今と違って歩きやすい登山道など存在しなかった時代に、
鉄下駄で木喰行をしながら17年間も修行を続けた末に即身仏になったと聞いて、
その凄まじい精神力に、本当に震えがきました。
今でもこの行人様を慕って、
鉄下駄駅伝というすごいイベントが行われているそうで、
機会があったら是非参加見てみたいです。
初めて訪れた土地でしたが、
出会った人たちやこの場所の雰囲気が、とても素晴らしい場所でした。
冬もまたぜひ訪れてみたいと思っています。
イチョウの盆栽、完成しました!!!
湯殿山の鉄竜海上人と出逢ったお話し。