ぽーちゃんが亡くなりました。
お散歩に出てからちょうど5日目、
ごはんももりもり他の猫の分まで食べて、体重も増えていたのですが
発作を起こして病院に行ってからちょうど1週間目の金曜日、
朝から目をつぶったままでちょっと具合が悪そうで朝ごはんも食べず、
母親に言い残してから仕事に出たのですが、
やはり昼頃に発作を起こして、
母親は注射器とアンプルの発作どめを使うことができず、
帰宅したときにはもうダメだろうと覚悟しました。
この子は今まで一度もトイレの粗相をしたことがなく、
うちに初めて入って来た時も真っ直ぐトイレの場所まで行っておしっこをして、
「ボクちゃあんとおトイレ出来ますよう〜〜」
とアピールするほどの賢い猫だったのですが、
亡くなる前日のこの日はもうトイレに歩いて行けずに、
初めて猫ベッドがびしょびしょになっていました。
もう何も食べられず少し舌を出していたので、
少しずつ水とマヌカハニーを溶かしたぬるま湯を
注射器で舌の上に乗せるように飲ませました。
自分達のふとんの横に、猫ベッドに乗せて寝かせたのですが、
姿勢が苦しかったようで夜中にズルズル頭から出ようとしていたので
呼吸が楽なように下を平らにして
手枕と頭がちょうどいい高さにクッションを調節して
夜中様子を見ていました。
翌朝は本当に秋晴れの気持ちのいい天気で、
まるで眠っているように小さな寝息をたてていました。
母親が抱っこして階下につれていくというのを
せっかく楽な姿勢で呼吸もできているのに
大好きなお日様も差しているんだから、このまま逝かせてやってくれとそのままにして、呼吸が弱くなってきたころに母親と2人で過ごせるようにと、
猫ベッドやタオルの洗濯を始めました。
13時半ごろ、
呼吸ができなくなったのかバタバタと後ろ足を足掻いて
その後逝ってしまいました。
私はその最期は見ませんでした。
不思議なことに死後硬直が始まって数時間しても、
ずっと前足の付け根の胸の辺りが温かくて、
翌日荼毘に付すまで、なぜか温かい感じがしました。
火葬車に来てもらい、ぽーちゃんを炉に入れる寸前に
自分の髪をほんのひとふさ切って、ぽーちゃんのお腹に乗せて一緒に送りました。
友人がお花を送ってくれて、
まるで木の下で得意げにクンクンしているような気がしました。
なぜ生き物はみんな、
せっかく生まれてきて長い時間さまざまな経験を積んで、
また死んでしまうのでしょうか?
どうしてこのような生と死のサイクルが
設定されているのでしょうか?
まだ温もりのある骨壷を、
生前ぽーちゃんが母親の膝の上に乗りたがっていたときのように抱えて
居間でTVの前に座っている母親に、
2年前の米寿の祝いでプレゼントして、
しまわれたままだった
ぽーちゃんクッションを出してきて渡しました。
心配してくださったりお気にかけてくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
会っていないのに、お花をいただいたり、
カードをいただいたり、
ぽーちゃんは本当にたくさんの人から可愛がられた猫生だったと思います。
お前は本当にいい猫だったねえ
また会おうね。