おきらくごくらく。

山と自然。日常のあれこれの雑記ブログ。

行ってみるべし朝倉彫塑館。

朝倉彫塑館の屋上庭園。

朝倉彫塑館の屋上庭園。

今まで素晴らしいな、と思う作品とちゃんとじっくり向き合って来なかったので、

作家の作品以外の事物にも触れることがすごくしたくなって、

先日コロナの影響で閉館していた朝倉彫塑館についに行って来ました。

 

谷中にある朝倉文夫という彫刻家の自宅です。

 

行ってみて本当に衝撃でした。

撮影は屋上とその周辺以外は撮影不可なため、

写真が無いのですが、

外観からはまったく想像できなかった内部の大きさと複雑さ、

作家とその家族が育んで来た生活と、

大切にしていた心のうちなどが、垣間見れる素晴らしい場所でした。

 

まず入って驚いたのは、

巨大なアトリエとその作品

こんな大きなアトリエと作品を、今まで見たことがありません。

天井までの高さは、十数メートルはありそうです。

 

そしてそこから続く書斎には、天井まで壁が全面ガラスの書棚になっていて

きちんと隙なく並べられた蔵書にまた驚愕しました。

 

朝倉文夫という人は、大分県に生まれ9歳で親戚の養子に入り、

旧制中学で落第してしまったのち、彫刻家の実兄のいる東京に上京して

東京美術学校で彫刻を学び、谷中に小さなアトリエを新築したそうです。

これが現在の朝倉彫塑館の初めとなりました。

 

書斎にあったたくさんの本は、恩師の岩村透氏の蔵書が古書店に売りに出され、

散逸を憂い、なんとかして守ろうと自宅を抵当に入れて資金を工面したのだそうです。

この高価で大量な洋書をはじめとする数々の本は、

日本の近代美術を語る上で欠くことの出来ない重要な資料らしいです。

 

そして巨大なアトリエは、実は他で見ることの出来ない

電動昇降式の制作台が設置されており、

大きな作品の制作に、自らが足場を登ったり降りたりしなくて良いように

工夫されています。 この時代にすごい。

 



屋上庭園から見た中庭。

屋上庭園から見た中庭。

 

実はこの中庭を見たくて訪れたのですが、

もう本当に全部がすごかったです。



屋根の上に女性の彫刻が。

屋根の上に女性の彫刻が。

 

後から調べたら、この彫刻は【浴光】

ここが最初に建てた旧アトリエだそうです。(公開はされていない)



中庭

中庭

この中庭はすべて池となっていて、

この屋敷はこの大きな五典の池を中心に構成されていました。

巨大な石と渡り石とで木々で造られたこの庭は、

様々な部屋や廊下から違った表情を見せてくれ、

朝倉文夫は内省の場としてこの庭を設計したそうです。

巨石のひとつはなんと真鶴から運ばれたのだとか。

 

人間は、その生き方に狂いを生じると迷いもまた多くなり、

ものの本質を見極めにくくなる。

観念的思想に陥ることへの自己警告の意味からこの中庭には

仁(霊象石)・義(体胴石)・礼(心体石)・智(奇脚石)の石が配置されている。

(朝倉彫塑館 昭和61年より)

 

朝倉文夫という人に、ものすごく興味が湧きました。

 

僕は水の信奉者だ。僕はこうして居間から泉水の水を眺めている。

綺麗な水は、在る時は蒼い空と白い雲を映している。

或る時はささ風に微かに揺らいでいる。

ある時は山茶花の花弁が一輪落ちていたり、枯葉が散っていたりする。

僕はそれをじっとみつめていると、いろいろな邪念が頭から消えて

無念無想の状態に導かれて行く。

僕はこうして水によって心機を転換し、自分の心持をどの位助けられているか

分からない。

そして新しく蘇った精神が、僕を芸術に邁進させる。

(朝倉文夫 「水の礼賛」)

 

そして中庭を挟んで生活していた寝室や、

2階、3階へといくつもの部屋や客間があるのですが、

アトリエの上に造られた【朝陽の間】にまた驚かされました。

ものすごく広くて明るい部屋に、朝倉が設計した折りたためる大きな円卓がひとつ。

他の部屋もそうなのですが、天井に神木がつかわれていたり、

この大広間の赤い壁は瑪瑙が使われていました。

 

 

屋上庭園

屋上庭園


そしてこの屋上では、朝倉が金銭的余裕がない才能ある若者たちを

「自分が月謝のいらない塾をつくろう」と、私塾として徒弟をアトリエで教え、

その学びのカリキュラムの必修科目のひとつとして、

屋上での園芸と農業の実習もしていたというのです。

芸術と自然とは一体である。

自然と親しみながら、感覚を研ぎ澄ませようとした体験的指導と言われています。

 

ますますすごい・・・・。

 

 

屋上から2階へ。

屋上から2階へ。



豚の出水口

豚の出水口

 

かつては水が出ていたのでしょうか? とてもユーモラスです。

朝倉文夫の作なのかな?



今までと全く雰囲気の違う蘭の間。

今までと全く雰囲気の違う蘭の間。

東洋蘭の栽培のための温室だったそうで、

今はギャラリーとなっています。

 

 

ふんだんに光を取り込むためのガラス屋根。

ふんだんに光を取り込むためのガラス屋根。

おや、あれは。

 

屋上に座っていた人が見えます。

屋上に座っていた人が見えます。

この作品のタイトルは【砲丸】



まるで生きているよう。

まるで生きているよう。



【眈々】

【眈々】



寝ている時はチャンス到来。

寝ている時はチャンス到来。





朝倉文夫と愛猫たち。

朝倉文夫と愛猫たち。

 

1964年の東京オリンピックと自らの制作60年を記念した「猫百態展」

企画し制作に励んでいたそうですが、

間もなく病に倒れ、開催の約半年前に残念ながらこの世を去られたそうです。

「猫百態」見たかった・・・。



朝倉彫塑館入り口

朝倉彫塑館入り口

 

朝倉文夫という人、作品も邸宅も、本当にはるかに想像を超えて素晴らしかった。

また再び訪れたいと思います。

 

そしてこの後近くのお寺に狩野芳崖のお墓があるのを見つけて

お参りしました。

今度は花を手向けたいと思うようなお墓でした。


平櫛田中の旧アトリエ

平櫛田中の旧アトリエ

 

そして少し行った谷中の墓地の徳川慶喜公のお墓のすぐそばに、

平櫛田中の旧アトリエがあるのに先日気付いてまた行って見たんですが、

現在は公開されていないようですね。



正門

正門

 

今はいない人でも、作品以外の書いたものや使ったもの、

住んでいた家などから、

その人の何かを感じ取れることが多いので、

平櫛田中も触れたい人の一人です。



谷中は古い家屋を利用して、たくさんの素敵なお店があったり、

上野という土地柄芸術家も多く住んでいた場所で、

たくさんの見所があり、

浅草に住んでいたのにまったく知らなかったのがお恥ずかしい。

 

ちなみに慶喜公のお墓の近くに、

巨大な渋沢栄一氏のお墓がありました。

渋沢氏の尽力で、慶喜公がこの場所に神道式の円墳で家族とともに

葬られるという希望がかなったのだと、

墓の前で説明してくれた男性がいました。笑



徳川慶喜公と家族の墓

徳川慶喜公と家族の墓



慶喜公の円墳

慶喜公の円墳



渋沢栄一氏の墓

渋沢栄一氏の墓



巨大です・・・。

巨大です・・・。





散ポタカフェ のんびりや

散ポタカフェ のんびりや


帰りに一息、のんびりやさん。

冷えたライムジュースとレモングリーンカレー、

パクチーが効いてて、美味しかったです!

 

噂のカヤバ珈琲は、いつ行っても1時間待ちで入れないので残念無念。