おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

たくさんのふしぎ。ホタルの光をつなぐもの

月刊たくさんのふしぎ ホタルの光をつなぐもの

月刊たくさんのふしぎ ホタルの光をつなぐもの



五十嵐大介さんの絵の本、何冊目になるでしょうか。

福音館書店から出されている「たくさんのふしぎ」シリーズ、

文は福岡伸一さんです。

 

五十嵐さんのあらゆる生き物や植物への視点を感じる絵、

そして地球が誕生してから長い時をかけて

生き物がその命を繋いできた輪廻のようなあらゆる生き物同士のつながりを、

かつてそこここにあった小川の土手で、

少女が知っていく展開がとても素晴らしい。

 

生き物の不思議に触れ、

連れて帰りたいと思う少女がどうやって命は育まれるのかを知って、

「じゃあ、ホタルの幼虫は自然のなかで生きるのがいいんだね。」

と言って「元気でね。」と別れるシーンで、

なんとも言葉が出ない気持ちになりました。

 

子供は虫や小魚や蝶々を取るもの。

そうやって生き物と付き合っていくのだと思うのですが、

自分の子供の頃や、親の世代の子供の頃の話でも

取っては無邪気に殺してしまうのを、

ただ「いけない」と言って子供を止められるのか?

とずっと悶々と考えてきたことでした。

 

「他の痛みを知らない」無邪気といえばそうですが、

その未熟な時代に、どう伝えるべきなのかという疑問に、

ひとつの救いを見せてくれたような気がしたのです。

 

実は私は子供のころ、

まさに「他の命の痛みを知らない」ことで、

いつもは記憶の底に眠っているのですが、

決して消えない光景があります。

 

たぶん3歳ぐらいだったと思うのですが、

当時商売をやっていた我が家の店に、

昭和の時代の古い四角い歪んだガラスの

小さな水槽があって、

その中に3匹の赤い金魚が泳いでいました。

そして私の記憶では、

面白がって手を入れて金魚を追い回した挙句、

3匹とも握り潰してしまったのです。

 

自分の握った手から、

金魚と同じ真っ赤な血が流れ落ちるのを

面白がってみている光景を、

ある時突然思い出して衝撃を受けました。

親に聞いても覚えていないと言って、怒られた記憶もないのですが、

手の中で暴れる金魚の感触と、真っ赤になっていく水槽とあの匂いは、

記憶から消えることはありません。

 

母親が子供の頃は、小川からメダカを取ってきては、

おもちゃの包丁で頭を落として「魚屋さんごっこ」をしていたそうです。

 

嫌がる犬や猫の耳を引っ張ったり、逆さづりしたりしている子供には、

同じことをして、

「自分より大きい生き物に、こんなことされたら怖いよね?」

というのもありますが、これしか方法がないのだろうか?

 

残酷を残酷と知らない、

金魚を潰して喜ぶ3歳の自分に、

どうやって何を伝えたらいいんだろう?

 

夏休みに田舎で取ってきた蛙の子供を、

気づいたら教室で誰も世話をせずに干からびさせてしまうのは、

どうやったら変えられるんだろう?

高校の授業で孵卵器に入れてひよこになりかかっている命を、

おもちゃにして殻を開けたピンセットでグサグサ刺すようなことを、

なぜ教師も生徒も見過ごすんだろう?

人間以外の命は、そんなに価値のないものなのか?

 

子供だけの話ではなく、

友人から実家の九州で台風が来ると、布団やタンスなどの大型のゴミや油を

年寄りがばんばん川に投げに行っていたと聞いたのですが、

その時に子猫や子犬も流してしまうのだと。

 

これは、大人も子供も関係なく、

生命の循環に関しての知識がないこと、

自分が知らないから子供に伝えることができない、

その方法を知らないことが、命の重みと痛みと喜びを知らないことに

繋がっているのだろうと思いました。

 

 

このお話は続きがあって、

女の子は高校生になって、ホタルのいた川の小さな土手は

コンクリートの護岸になってしまいました。

やがて女の子が大人になったとき、

護岸は緑道になって、川は暗渠となって全く日のささない地下に流れる

コンクリートの小さな水路になってしまいました。

 

これは日本中で起こっていることです。

 

死んでしまった川に「もう蛍は戻ってこないのかな?」と問う彼女に、

やはり同じく歳をとった彼女の父?か祖父?は、

「立ち止まってよく耳を澄まし、目を凝らせば、

 人間が断ち切った自然が、

 再び自ら繋がろうとする力が見える。」

と教えてくれます。

ほんの少しのアスファルトの隙間に伸びてくる草花、

コンクリートを根で押し上げて壊し、成長していく街路樹、

 

「抑え込まれた生命が命を吹き返す、

 失われたものを取り戻そうとする自然の回復力だよ。

 生命には常に繋がろうとする力がある、

 この網の目が、生命と環境をささえている。

 互いに繋がり合うことができたから、

 地球上で数えきれないほどの生物が

 生きていくことができるんだ。」

 

「水にも自然をもとに戻す力がある。

 水はあらゆるところから外に出て、

 自由になろうとするんだ。

 つながりを戻そうとする。

 人間が何もしなければ、

 街は自然に覆われていく。」

 

このシーンには、森の中にシカやアオサギ、

リスにカワウソにトンビが描かれているのですが、

水の上に佇むシカの後ろにはまるで、ジャングルのなかのアンコールワットにそっくりな、

ガジュマルとおぼしき木々に覆われた国会議事堂が

建っていて、

それに気がついた時には「そうだ!そうだ!!」と

心の中で声を上げていました。

 

それは温暖化が進み、東京が水没した姿。

今までの高度な消費社会が消滅したとき、

あっという間に自然がそれを覆い尽くし、

循環を回復させていく。

 

 

そしてホタルが戻るのには、

生命のバランスが必要であり、

それを壊すのは一瞬だが、

回復するには膨大な時間がかかり、

自分や少女が生きているうちにはかなわないだろうと語ります。

ここでは水没した都心のビル群の前で、

ザトウクジラがジャンプしているシーンが描かれています。

 

そして宇宙のなかで、

人類が生まれて生きてきた時間より、

ホタルの生きてきた時間の方がはるかに長く、

その明滅は、生き物がつながり合っている美しい証のようなもの、

それは一度も途切れたことがなく、

私たちの命も、その環のなかのひとつだよと。

 

ラストページは言葉にならないほど、印象的です。

 

 

最近自分の中の認識で大きく変わったのは、

人間が余計なことさえしなければ、

自然の回復力は以前考えていたのより遥かに早いスピードで、環境を取り戻していくのではないか、と言うことです。

 

2013年に誕生した西之島に生命が現れて循環していく様子は、

まさか自分の一生でこのようなものを見ることができるとは・・・

というほどの衝撃でした。

その成長と変化は早く、

大規模噴火により根付いた生物が一度リセットされながらも、

2022年には70種類以上の生物が確認されています。

 

 

 

福岡さんと五十嵐さんがこの本を作ったのは、

最高の組み合わせだと思います。

本当に素晴らしい本です。

 

 

 

 

 

 

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