まるで妖精世界の入り口のような、
濃溝(のうみぞ)の滝。
噂に聞く濃溝の滝と、伝説のアクル王の墓の場所を知っている!
と教えてくれた友達と、仲良しさんたちで早朝から房総半島目指して冒険の旅へ。
なんだか出発の時から既にめっちゃワクワクします。
海ほたるを通るときの明け方、
すごくキレイな大火球が一瞬、青緑色に輝きながら通り過ぎて行きました。
(あまりに一瞬のことで、当然写真は撮れず・・・。
後からニュースで結構見た人がたくさんいたのを知りました。)
一路君津へ。
朝早めに着いた清水渓流公園は、人がまばらでほんの少し歩くと
目的の亀岩の洞窟に着きました。
これは・・・・
洞窟というより、なんだろう・・・トンネル?
下にくだってようやく、
あの有名な写真の構図のポジションに。
亀岩の洞窟は実は川まわしと呼ばれる人工のトンネルで、
農業のために川をつなげた技術で、房総独特の手掘りのトンネルなのだそうです。
有名な光がハート型に写る写真は、
3月と9月の午前6時半〜7時半ぐらいに
撮れるのだそう。
この場所は実際に見るより非常にフォトジェニックで、
光の様子がとても美しいのです。
夏にこのトンネルで水遊びしている写真が、
帰りに立ち寄った千寿の湯という入り口にある温泉にあったので、
楽しそうだなあと思ったんですが、
今でも入れるのかな?
2023年1月追記
地元から「濃溝の滝」をもともとの「亀岩の洞窟」へ名称を戻してくれとの
新聞記事がありました。水遊びしている濃溝の滝はもっと下流にあり、
実は亀岩の洞窟とはまったく別のものなのだとか。
ごっちゃになって有名になってしまったということのようです。
この時既に
「行って見るっきゃないっしょ」
という気でムンムンです。
「この洞窟は今から350年くらい前に曲がりくねった川をトンネルで結び、
水田を作りここを田んぼにしようと作られました」
濃溝の滝はこの幸運の鐘の下にあります。
木道を進むと、紅葉が見事で、
この谷地ではゲンジボタル(5月下旬〜6月下旬)やヘイケボタル(6月下旬〜7月下旬)、
そして紫陽花(6月中旬〜7月上旬)も見られるそうです。
紅葉は11月下旬から12月上旬です、
さすが房総。あったかいですね〜〜
そしてひと通り歩いた後、
やはり異世界の入り口の先はどうなっているんだろう?
と探検に出かける探検隊3名。
ほとんど動物たちしか訪れないだろう世界。
沢靴かサンダルあったら、もう少し遊べたんですが。笑
今日はまだまだ探検があるし。
でもその前に、ここまで来たらせっかくなので源泉掛け流し「千寿の湯」で、
さっぱりしてお昼も食べましょう。
いろいろなところをちょこちょこ見ながら
次の目的地にやって来ました!
鹿野山(かのうざん)九十九谷は、その絶景が有名なところで、
東山魁夷画伯のこの絵はここだったのか〜〜〜!!!と初めて知って感動。
すぐ上には白鳥神社があります。
そしていよいよ伝説のアクル王の墓へ。
知らなければ見逃してしまいそうな道標。
鹿野山古道があって、その道沿いにあるようです。
こんもりとした小山のうえに一本だけ、
まわりの杉とは違う木が。
達筆な筆書きの立て札が。
なんと言っていいのか、
こんなところに毎月法要をいまだにされ続ける
アクル王(阿久留王)の墓があることが衝撃でした。
簡単な柵と、法要のための台と、立て札以外何もない。
何もないのに、何百年か何千年か、
恐れて供養され続けている。
どれだけ力のあるこの地域の支配者だったのでしょうか。
蘇らないように体をバラバラにされ、
しかも永きに渡って儀式が行われ続ける。
アクル王の別名は「六手王」。
この場所に来て初めて、
有名なヤマトタケルの伝説は、
このアクル王を倒すために
横須賀の走水からこの鹿野山に向けての最短距離を渡った話だったのだと気がつきました。
約1900年前の話です。
地図で見てもまったく近く見えるそのルートは、
実は海ほたるで実感したような激しい強風と浦賀水道の潮流に阻まれて、
弟橘媛が海に身を投げて海神の怒りを沈めた、
という話になったのでしょう。
明らかに嵐の時に船出するとは思えない。
ちなみに姫の衣の袖が流れ着いたので「袖ヶ浦」、
鹿野山の「白鳥神社」は、ヤマトタケルが亡くなって白鳥になったことに因んだ神社です。
第12代景行天皇の息子とされるヤマトタケル。
双子として生まれたとも言われる小碓の皇子。
実は大和朝廷が各地の実力者たちを倒して覇権を拡げていった歴史を、
ただ一人のヤマトタケルという人物の物語にしたのでは、
という説もあるようです。
グルグルと周囲を廻ったり、古道をしばらく歩いてこの辺りの地形や
雰囲気を見ながら、いろいろなことを考えてしまいました。
そして最後は、アクル王の胴塚を供養し続ける
鹿野山神野寺(じんやじ)に向かいました。
ここは非常に密教色が濃くて、
美しい古仏像がたくさんありました。
そして宝物殿に入ってびっくり。
そういえば、何か名前を聞いたことがあるな・・・・と思っていたのですが、
昔の住職さんのトラ愛が炸裂していました・・・。(写真はない)
そうここは、
聖徳太子が推古天皇の時代(598年)に開山した
関東最古の寺だと言われているのです。
宮殿!?しかも飯綱権現の!?
ワクワクします〜〜
ここにも夢殿が・・・。
古仏は本当に美しい。
日本のこの二千年の歴史を、まったく予期せず考えさせられてしまった楽しくて深い旅でした。