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【赤い蝋燭と人魚】とこわい話。

このお話って、こんなに怖かったっけ・・・?

 

赤い蝋燭と人魚 偕成社 初版2002年1月

赤い蝋燭と人魚 偕成社 初版2002年1月



前記事の【くまとやまねこ】と同じ、酒井駒子さんの挿画で手に取った、

小川未明氏作の有名なお話の絵本です。

 

 

子供の頃、確かに読んだはずの【赤い蝋燭と人魚】

最後は廃村のようになってしまうのだったっけと

うろ覚えを思い出しながらめくったページは美しく、

お腹の大きなお母さん人魚やあざらし、

そして赤ん坊から成長していく人魚の少女の姿が、

本当に美しく愛らしく描かれています。

それでいて全体のトーンは暗く、物語は

どんどんと陰鬱な予感に重くなっていきます。

 

 

人魚の母が人間の世界は良いものだと聞いて、

我が子を人間の世界で暮らさせるために山の上のお宮の元に置いていき、

預かった老夫婦は、やがて欲と吹き込まれた恐れのために、

すがる人魚の少女を香具師の男に売り飛ばしてしまいます。

その後ずぶ濡れの女がやって来て、真っ赤な蝋燭を見て姿を消したあと、

激しい暴風雨が起こって、

その香具師の男と少女を入れた檻ごと、船は嵐にあって沈没してしまいます。

 

 

それまでは少女が海の生き物を描いた蝋燭は、

山の上のお宮に供えてその燃えさしの芯を持っていれば、

どんなに時化ても溺れることなく命が助かると言われて評判になっていたのに、

最後に少女が急いで真っ赤に塗った蝋燭は、

供えると必ず暴風雨を呼び、

真っ赤な蝋燭を見ただけで水死してしまう人までが出て、

どんどんと不吉な噂が広がり、やがてお宮も村も滅びてしまいます。

そしてそれからは誰もいないはずのお宮にたびたび灯火がゆらゆら上るのを、

遠くから見る人がいるのだと。

 

 

挿絵が素晴らしいだけに、

内容の辛さと救いのない展開とが相まって、悲しさで胸がいっぱいになりました。

最後はまるで呪いの怪談のような、因果応報。

 

こんなに怖いお話なんだったっけ・・・

 

 

そして最近知ったいくつかの恐ろしい実話を、

なぜか思い出しました。

 

 

 

ひとつは、茨城県に残る地名にまつわる話で、

「地獄沢」と呼ばれる場所があり、

その場所は現在の太子町の北側に当たる所で「袋田の滝」のすぐ近く、

水戸藩が500人以上の村人の住む村を、一日で殲滅したという凄まじい話なのですが、

その事件が発覚して知られるようになったのは、

それから200年も経ってからなのだそうです。

 

その村は小生瀬村と言い、

それ以前は佐竹氏という領主が善政を布いていたのが、

家康により秋田に国替えになり、

その後水戸藩となって年貢の取り立てに役人がやって来て村人がそれを支払った後、

再び取り立てに来た役人に、

すでに支払ったと言っても全く話を聞いてくれないことから、

偽物だとして竹槍で殺害してしまったのですが、実は前者が偽物で、

10月10日早朝にかけて命を受けた水戸藩士数百人が村人を襲撃、

沢に逃げ込んだ老若男女合わせて500名近くを全員切り殺したというのです。

 

 

当初は闇に埋もれた話だったらしいのですが、

現地には「地獄沢」、命乞いをした「嘆願沢」、

刀の血を洗った沢を「刀拭き沢」、

と今でも残る地名に200年後の水戸藩の学者が現地調査を行い、

「一村皆殺しの武力鎮圧」を【探求考証】という本の中に書き記したのだそうです。

 

 

 

もうひとつは、

豊臣秀吉が後継者であった甥の秀次を、

自分の子供(秀頼)ができて邪魔になり切腹させた時、

その妻や子、側室や侍女をすべて三条河原で処刑し、

その中にわずか15歳の駒姫(伊達政宗の従姉妹)がいたというお話です。

 

駒姫の父は、山形城主最上義光。

幼い時から美貌と教養に秀でた噂を聞いた秀次が、

わずか11歳の駒姫を見染め、

側室へと求めたが父の義光は駒姫を非常に可愛がっており固辞。

その後秀吉から家督を譲られ関白に就任した秀次の要求を断り続ける事が出来ず、

4年後父親の義光が駒姫を連れて上洛し、聚楽第へ移った数日後、

謀反の疑いをかけられた秀次は28歳で切腹させられました。

 

この時、連座して妻や側室や子、侍女たちまで処刑され、

その中に顔も見ていない秀次の側室として、

父の義光の秀吉への嘆願も間に合わず、駒姫は処刑されてしまったそうなのです。

 

34名もの女性や子供たちが牛車に乗せられ、市中引き回しの上に、

切腹した秀次の首の前で、次々と斬り殺されていきました。

遺体は引き取ることも許されず、その場の穴に投げ込まれ、

上には「悪逆塚」と彫られた石が乗せられたのだそう。

 

駒姫の悲報を受けた母は2週間後に亡くなり、

義光はのちの関ヶ原の戦いで、豊臣西軍の敵となりました。

 

駒姫は自分の謂れのない死に対して、動揺する姿を見せることもなく、

辞世の句を詠み、

それはのちに彼女の愛用の着物で表装され、

他の処刑者のものとともに、京都国立博物館に現在も保存されているそうです。

 

 

 

日本中どこでも、

実はこのような話が至る所であふれていて、

人の死んでいない場所などあまり無いだろうと思っているのですが、

残虐性と欲望と人間という生き物は、

どうして切っても切れないのだろうと、

言葉にする事も出来ません・・・

 

 

人間の中にのみ、

優しさや思いやりと残虐性と欲望という正反対の事象が存在し、

陰陽のように永遠にグルグルと回り続けて行くのが

人間の業というものなのでしょうか・・・?

 

 

【赤い蝋燭と人魚】は、

なにかこのような陰の出来事全てが凝縮され、

不幸と呪いの伝説の生成の形を、表しているような物語に思えます。

 

 

あの時、人魚のむすめを引き取った老夫婦が、

金に目が眩み最初の気持ちを変えることなく、

大切に可愛がって、やがて海に帰してあげていたら。

 

 

あの時、水戸徳川家の家老が、

村人を皆殺しにするなどという早急で浅はかで愚かな判断をせず、

話を聞く時間を取っていたら。

 

 

あの時、秀吉が自ら跡継ぎに決めた秀次を、

生まれた秀頼のために粛清してしまおうなどと

考えなかったら。

 

 

 

たくさんのなぜ、あの時、

なぜ?どうして。

 

答えのない、そして起こりえなかった「もしも」

が、ずうっと頭の中を駆け巡ります。

 

これは私の単なるイメージなのですが、

物事が起こるとき、たくさんの事象とひとの思いが複雑に関係しあって、

ひとつの方向に向かった時、

結果としてそれが起こるような気がします。

 

その中で、なにかひとつを変えてやる、

すると少しずつ行き着く先が変わってくる、

そんなイメージがあるのです。

 

まあ、後から見てそんな風に感じられるだけかも知れませんが。

 

 

 

 

このお話はたくさんの絵描きさんがそれぞれ挿絵を描いていて、

たぶんまったく違うイメージを醸し出していると思います。

この【赤い蝋燭と人魚】は非常に美しく、そして怖い

稀な絵本だと思います。

機会があれば、ぜひ一度読んでみてください。

 

 

 

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