おきらくごくらく。

山と自然と不思議。日常のあれこれの雑記ブログ。

彼岸・春分。帰るもの

桜の巨樹

 

 

一昨日の日曜の朝、

猫の世話と朝食の準備をして一段落して、

居間のソファに座っていると、

後ろの窓の外を黒くて男性くらいの大きさの人影がスッと通りました。

 

「郵便屋さんかな?」

と思って窓から覗くと誰もいない。

いつも外に人が来ると

「ウウウウ〜〜」と唸る黒猫も全くの無反応。

??????

 

 

我が家は同じ作りの3軒が並んだ建売住宅の真ん中なのですが、

一番奥の隣の家は、短い共有道路のどん詰まりで

住んでいた長男さんとお母さんは入院したそうで、

かなり長い期間空き家同然になっていました。

時々次男の人が自転車で来ていたのですが、

それも去年はほとんど見かけていないような気がします。

 

 

そして昨日の朝も、同じような時間帯に

また一瞬窓の外を横切る、今度は白っぽくて小さな影が。

 

何だろうなあ・・・・と思っていたら、

友人が「お彼岸だよ」と教えてくれてハッとしました。

 

「2人とも亡くなったんだろうか・・・。

 もし帰ってきたとして、

 どうやって死んでからお彼岸の時期がわかるんだろう?」

 

 

不思議に思ったのでちょっと調べてみたら、

お彼岸とは春分秋分の日を中日とした7日間で、

「先祖を彼岸から此岸にお迎えして供養する日」だとありました。

 

春分と秋分の日は家に招いた先祖を供養し、

前後の6日間は修行の日なのだと。

 

太陽の動きでわかるのなら納得です。

日の出と日没と同じように、1年の自然の摂理に即して

あの世とこの世が近づくというのも、何となく理解できます。

 

 

先週からやたらぼた餅が食べたくなって、

一度仏壇にあげてから食べていたんですが、

お彼岸が近かったからなのかも知れないなあと思いました。

誰かが食べたがっていたのかも。

 

ちなみにぼた餅おはぎは何が違うの?って思ったら、

ほとんど同じなんですが、

ぼた餅は牡丹餅と言って春分の日にお供えするもので、

春先に小豆の皮が硬くなっているのでこし餡なのだそうです。

 

おはぎは秋分の秋の萩の花になぞらえて、

秋の収穫後の柔らかい小豆を使うので粒餡なのだそう。

 

 

なので早速スーパーで小さな花束とぼた餅やお団子、

果物などを買ってきて、

仏壇の掃除をしてから供えました。

猫と犬の小さな仏壇には、カリカリとちゅーるを。

あとは夕食のお裾分け。

 

父親がいちばん好きなものはビール。

祖父や祖母の好きなものも、ちゃんと聞いておけばよかったな・・・

好きだったものを供えるのは、実際に食べられずとも

それで好物を食べた時の美味しかった記憶が蘇るのだそうです。

 

 

たぶん人によって大きく違うのでしょうが、

死んでもすぐにはそれほど変わらず、

意識や自覚もそのままで、ただ他の人からは認識されず、

暑さも寒さも空腹も感じず、

なぜ自分がここにこうしているのかも分からず、

という状況になったら、

長い長い時間をどう過ごしていくのか、

どこまで行ったら次の段階に進めるのか、

今から考えておいた方がいいかも知れないと思う今日この頃です。

 

 

 

体をなくしてからこの此岸で人に認識してもらったり、

何かを動かしたり、話しかけたりは

どうやら相当な労力と修練がいるらしいので、

(死んだら)

少しずつ練習しながら、人や生き物を助けたりできるようになりたいなあ

などと考えています。

山で迷う人には方角を、公園で独り泣く人には・・・

ただ隣で話を聞いて頷くだけになりそうですが。(笑)

 

生きている間は大したことも出来ず、

思い出したら恥ずかしいことの方が多いぐらいなので。

 

いや、

生きてるうちにやれよって話ですね・・・・。