「シベリアから来たクロ」というタイトルのツイートを見ました。
日本が戦争に負けて、多くの日本兵がシベリアに抑留されていたとき、
収容所でこっそり飼われた黒い雌の仔犬。
本当の名前は、
真っ黒い毛並みが熊のようだからクマ。
少ない食べ物を分け与えて、ソ連兵にみつからないように
大切に可愛がっていたそうです。
昭和31年、11年半の抑留後の日本への最後の引き上げの時、
驚くことにハバロフスクから1000kmのナホトカ港まで、
マイナス40度の中を3日目の朝までに自力で日本兵を追ってきたクマは、
なんと出航した最後の引き上げ船、興安丸を追って海氷の上を走り、
冷たい海の中に落ちてしまい、それでもめげずに離れていく船に追いすがり、
それを見た玉置船長が船を停めて、帰国兵と共に日本に渡ってきたというのです。
ぜんぜん知りませんでした・・・。
なんとその時の写真が残っていました。
2人の水兵さんが縄梯子を降り、下の人がクマをカゴのようなもので
助けようとしているように見えます。
クマと共に帰国できた時の気持ちは、
どのようなものであったかと思われます・・・・。
その後このクマがどうなったか、
なかなか調べていても出てこなかったのですが、
クマを見捨てず船を停めて助け出した興安丸の玉置船長が、
クマを引き取って大切に飼ったとのことでした。
日本に来てから子供も産まれて、幸せな時間を過ごしたようで、
本当によかった・・・・。
クマは昭和29年頃に拾われて、
昭和31年12月26日に日本にやってきたようです。
日本に来たときは2〜3歳といった所でしょうか。
写真はクマのピントがぼやけているのですが、
とても可愛い顔をした黒い中型の雌犬だとわかります。
今でもクマの子供たちの子供たちが、
日本のどこかで元気で幸せに暮らしていることを切に願います。
この二つの記事が、真実を書いてくださっているので、
ぜひ読んでみて下さい。
涙が止まりません・・・・。
実際にクマと共に帰国した方のお話。
私の爺さんの甥っ子にあたるおじさんが、
子供の頃奥さんとよくうちに来てくれていたんですが、
2人ともとてもやさしい人で、
シベリアに抑留されてた時のことを聞いたら、
とても悲しそうな顔をして、一言も話してもらえませんでした。
今思えば、あまりに過酷な体験を、
当時私のように世間を全く知らない子供に簡単に問われて、
話す言葉すら見つからなかったのだろうな、と。
今になれば、
どれほど辛い体験をしたのだろうかと、
当時の自分の無知と幼さが、残念でなりません。